怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

母親の一周忌で思う。

  • 母親の一周忌で京都へ。私の母親は独善的で支配的で潔癖症でヒステリックだったので、物心ついてときから、随分と酷い目に遭わされた。身体的な暴力こそ振るわれなかったけれど、心理的な圧力に満ち満ちた家庭環境だった。例えば、あるとき友達と遊び泥だらけになって帰宅する。母親は激怒する。別の日、怒られるのが嫌なので泥だらけになって遊ぶ友達の輪に入らず遠目に見るだけで帰宅する。すると「どうして一緒に遊ばないのか」といって激怒する。子供心にもうどうして良いのか判らず、友達と遊ぶことそのものを止めたりした。今でもよく覚えているのは、夏期講習か何かに行かされ(当然、鬼のような教育ママだった)、帰宅したとき、「バスがなかなか来なくて嫌になっちゃったよ」と言ったら、それが気に入らなかったらしい、その瞬間から三日間、口をきかなかった。食事などは作ってくれるから、飢えたりはしなかったが、あの三日間でずいぶん、いろいろなことを考えた。今もって、なぜあの一言で母親が激怒したのか、判らない。
  • 後年は体調を崩し、最後の八年は寝たきりで過ごした。原因不明の肺炎、原因不明の偏頭痛、腕の痺れが出て介護が必要となり、四年間は私が一人で介護した。結局、肥厚性厚膜炎と診断されたが、原因も治療法もないものだった。ステロイドによるパルス療法を試したときは、副作用で鬱病となり、毎日のように罵詈雑言を浴びせられた。京都の伯父に電話をかけてくれと懇願してきて、なぜかときくと、「私が死んだら葬式を上げてくれと頼むの」と言う。「そんなことは俺がやるから心配しなくていい」と返すと「あんたみたいなのに何ができる」と激怒する。後からきいたところによると、他の親戚や友人たちにも電話をかけ、私がアホでバカでどうしようもないから、自分が死んだらきちんとやってくれと頼みこんでいたらしい。彼らの大半はその言を今でも信じている。
  • 精神病院に三ヶ月入院したら、鬱病は治ったが、足腰が弱くなり、ある日、夜中に洗面所で転倒。翌日ヘルパーさんが来たら、部屋中血まみれだったなんてこともあった。てんかんの発作を起こし、目の前で呼吸が止まったこともある。手のしびれが酷くなり、食事も薬を飲むことも一人ではできなくなり、施設に入れることになった。そこで八年だ。
  • 私の人生の序盤と中盤をことごとく破壊してくれた親ではあるが、まあ、亡くなってしまえば、それも良い思い出……になんかなるわけないだろう、バカ野郎! なんてことを一周忌を機に、思い返していた。
  • 父親は19歳のときにたらふく酒を飲んで死んでしまい、母親は12年の介護の後亡くなった。二人とも、生命保険に入るでもなく、私に何かを残してやろうと貯金をするわけでもなく、やりたい放題やって死んだ。正直、親からは苦労しか貰っていないと感じている。親は大嫌いだ。
  • でもね、あれだけ煮え湯を飲まされた母親であるけれど、目の前でヒーヒー言っていれば、腕くらいさすってやったし、入院していれば面会にも行った。嫌いな息子だったろうが、向こうもそれなりに嬉しそうだった。つまりは家族ってそういうものなのだろう。これが赤の他人だったら、のたれ死にしようが放っておく。毎日、仏壇には手を合わせているし、写真を仕事場の机に置いていたりする。この距離感こそが家族なのだろう。
  • 仲良く、いつも一緒で、葬式の時は号泣する。そんな家族もあるだろうし、私のような家族もいる。家族は多様だ。それでいいのだと思う。