- 『ダーティーハリー』や『キングコング対ゴジラ』について、我々世代の定説とは真逆の評論、評価が出て来る昨今。映画そのものも進化、あるいは変化しているし、社会観、道徳観なども変化していく。映画はそれが作られた社会を活写するものなので、当然、現在との齟齬は生まれるだろう。
- でも、そうした作品を「禁止しろ」「公開するな」「放送するな」というものでない限り、評論、評価は自由だろう。それに対し、定説を覆されたとして、一方的な不満、怒りを評論者本人にぶつけるのは筋違いだ。
- 一方で、『ダーティーハリー』について言えば、「肩を狙撃しただけで死ぬか?」「狙撃地点に脅迫状を残していくか?」「刑事も犯人もポンコツ」との点については、正直、「何言ってんだ?」としか思えない。
- 私は『ダーティーハリー』をヒーロー映画として見てきた。制御不能な凶悪犯が現れた時、既存の頭でっかちな警察組織は対応できず、そこに、彼らには制御できないアウトローな刑事が現れ、悪いヤツを倒す。ポンコツなのはハリーを除く警察組織だけだと。その規範は、当然、現代のものには当てはまらないし、それに対する批判もあるだろうけれど、『ダーティーハリー』が公開され、それを見て、それとともに人生を歩んで来た者には、どうしても譲りきれない価値観がある。
- 『ダーティーハリー』は名作ですよ。金字塔ですよ。ボクは大好きだし、これからも何度も見るだろう。

- ダーティーハリーといえば……
ハリーは六発撃ったのか
武器に手を伸ばした銀行強盗犯に銃を突きつけて言う映画『ダーティハリー』の有名なセリフ
「考えは判ってるよ。弾を六発撃ったか、まだ五発か。実を言うとこっちもつい夢中になって数えるのを忘れちまったんだ。こいつはマグナム44と言って、世界一強力な拳銃なんだ。おまえのドタマなんか一発で吹っ飛ぶぜ。楽にあの世に行けるんだ。運がよけりゃあな。さあ、どうする?」(山田康雄版)
弾は六発撃っていて弾倉は空。ハリーは、そうとは知らない犯人に向けて引き金を引いてみせ、ビビらせる。そんな中、「五発しか撃ってないのでは?」と質問を受けた。さっそく確認すると、六発撃っている(つづく)。
1発目 例の黒人に当たる
2発目 店から飛び出してきて車に飛び乗る犯人に撃つ(外す)
3発目 急発進した車に発砲(ここ音だけですが、銃声はマグナムの音です)
4、5発目 車に向けて発砲。運転手射殺
6発目 車から逃げた犯人に向けて撃つ。射殺。
これ素晴らしいのは、三発目。ハリーが発砲する姿を見せず、逃走車両のドライバーが必死に車をスタートさせる姿にかぶって、銃声だけが響く。観客も五発か六発かとっさに判断できないようにする演出だろう。
「六発撃ってますよ」と返事をして、せっかくだからと、日本語吹き替え版で同じシーンを見てみた。するとーー(つづく)
三発目の銃声がない。何度見返しても聞こえない。吹替え版には銃声が入っていない。
これなら、ハリーが撃ったのは五発。弾倉には一発残っていて、最後、弾丸が発射されなければおかしくなる。質問の主が言っていることは正しかったんだ。
『ダーティーハリー』好きで100回くらい見ているのに、55歳の今まで気づかなかった。
常識であったらごめんなさい。

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