怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

長坂秀佳とプロトニウム爆弾が消えた街 核武装を策す政治家どもは、平和の血をすする悪魔だ

  • 特捜最前線

第29話プロトニウム爆弾が消えた街(脚本・長坂秀佳 監督・佐藤肇)を見て、あまりの面白さにフラフラになる。(2026年Ver.)

 

東山核再処理施設が四人組の男に襲撃される。男らは職員の重森信一を人質に取り、プロトニウムを盗みだそうとした。銃撃戦により犯人三人は射殺、一人は重症、重森も無事であったが、その後、プロトニウムが消えている事が判明する。新聞等に、犯人の襲撃は失敗であったと公表されるが、事実は異なる。上杉官房長官は、原子物理学の権威刈屋教授と共に、プロトニウム捜索を神代に指示する。一方で神代は盗まれたプロトニウムから原子爆弾が製造されうる可能性を指摘。その危険性を官房長官も認めざるを得なくなるも、部下たちにも真実を秘匿し捜査に当たるよう命令する。

特命課は連続幼児殺人事件を捜査中。それらをすべて取りやめ、核再処理施設襲撃事件の洗い直しを命じる神代に刑事たちは不審を募らせる。そんな中、犯人の人質となった職員重森が行方不明との報が。彼こそが強奪の黒幕であり、プロトニウムは彼の手中にする可能性が高い。そして、重森には原爆を製造する知識があるーー。

だが、神代の真意が理解できない刑事たちのチームワークは乱れ捜査は停滞。

そんな中、「第二のノア」を名乗る者から各マスコミに当てて、プロトニウムの強奪と一両日中に原爆を完成させる旨の声明文が送付される。

神代は官房長官の命令を無視し、すべてを部下に伝える選択をする。

 

「1940年に原子ナンバー94の新しい元素が確認された。太陽系の惑星の中で一番遠い冥王星プルトーの名にちなんでプロトニウムと名付けられた。プルトーはギリシャ神話の黄泉の神。死の世界を司る王の名前でもある」

元素は発見された時から既に、死の元素として畏れられていたのだ。

 

声明文には原子爆弾の完成が「一両日中」とある。つまり、あと24時間以内に重森の身柄を抑えれば、完成は妨げられるかもしれない。

吉野たちは都内にグローブボックスを持つ施設を当たる。原爆製造のためには、絶対にグローブボックスが必要だからだ。

一方、神代は声明文の内容、「第二のノア」という名前などから、声明文の発信者を突き止める。だが、着々と原爆製造を続ける重森はその発信者の思惑を越える行動を始めていた。

原爆は完成。特命課の捜査は後手後手へと回り、重森は姿を消す。

 

「ハイスクール程度の知識があれば爆弾は製造可能とする、デイリー・エクスプレスの記事」、「原爆製造に必要な方程式、構造図が明記されたプリンストン大学の学生が書いた期末論文のコピー」を既に携え、官房長官との面談に臨む神代のカミソリっぷり。プロトニウムが盗まれたと知った時点で、これだけの資料を用意し、本当の危機を見据えている。

 

特命課の中で原子爆弾の恐怖を唯一人知る神代の焦りっぷり。それゆえ、言う事を聞かない部下に対して、えらく厳しく当たる。これ、初期神代だからひうした感情だけれど、後期になってくると、もはや神同然の存在にもなるから、多分、プロトニウム奪取に慌てることもなく、当初から官房長官に「部下が信用できないのか」と真実秘匿を撤回させていたように思う。少なくとも、自分の中にある神代のイメージはこちらだ。

 

神代が船村たちにプロトニウム奪取の真実を語るシーン。情報の重複を避けるため、突然の雷鳴、豪雨の演出が素晴らしい。

 

声明文の出所を探るため、徹夜であらゆる書籍、論文を当たる神代。その姿を見守り気遣う玉井婦警の姿が実に格好良く描かれる。すべてのレギュラーに見せ場を。そのレギュラーの中に玉井も入っているところが、長坂脚本の最高にイカすところである。

 

秋葉原での高杉と重森の偶然の出会いは、少々、偶然が過ぎるようにも思える。ここって、公安の刑事と高杉の自己紹介のための一幕でしょう。死体となった公安の身元を誰かが知っていなくてはならないってのがあるのは判るが、別に偶然本人と出会わなくてもいいように思うなぁ。店員が重森の顔写真を見て反応。そこに公安が声をかけてーーみたいの方が自然じゃないのかなぁ。部品を落とすことで、重森の本気度を測るって側面もあるけれど、それは店員が購入リストを見せてもいいわけで。野暮ですみません。

 

「日本は唯一の被爆国だ。あの惨めな敗戦に打ちのめされたとき、日本は何を誓ったか。戦争の放棄。平和憲法だよ。しかるに戦後32年、小中学生の教科書からは、戦争の記述は消え核の恐怖は抹殺され防備は軍備にあらずという詭弁が堂々とまかり通っている軍事予算は年々増加の一途をたどっている思い上がり、成り上がりの亡国の輩どもは、核武装もまたやむなしと、いや、核武装すべきだと論議を始めている核武装を策す政治家どもは、平和の血をすする悪魔だ

 

この前編が特捜の進むべき道を示したと言ってもいいのではないかと個人的には思う。

国家の危機に正面から挑む展開というのは、「特別機動捜査隊」ではなし得ないものであり、国家危機に頭脳戦で挑むという流れも、ほかの刑事ドラマにはない要素であったと感じる。良い意味での「エリート刑事ドラマ」が、上辺だけでも洗練されていく1970年代後半から80年代には似合っていたようにも思う。

一方で戦争と貧困を引きずる泥臭さもしっかり残っていて、それは「特捜最前線」の両輪であったと思う次第。

 

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