怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

女神の微笑の思い出

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  • ドラマ「福家警部補の挨拶」、おかげさまで、最終回の放送を無事、終えることができました。実に尖った世界観を最後まで貫き通し、倒叙好き、刑事ドラマ好きとして、熱狂して見ておりました。年末年始とか、オリンピックとか、雪とか、いろいろなものと戦いながら、素晴らしいドラマを作り上げて下さったスタッフの皆様に御礼を申し上げます。
  • 「オッカムの剃刀」、「少女の沈黙」をすっ飛ばしていますが、近々、書きますので、少しお待ちを……。
  • 「女神の微笑」は、「少女の沈黙」という肩に力の入りまくった話の次であったので、とっかかりを掴むまで、猛烈に苦労した覚えがある。大抵の場合、犯人の職業であるとか、殺し方などでほんのりとした光明が見えてくるものなのだが、それがまったくない。犯人の職業が浮かばないというのはかなり重傷で、殺し方は無論、動機も出てこない。
  • 協力の町田氏と頭を抱える内、詳細は思い出せないが、「絶対に犯人に見えないような犯人」というキーフレーズが出て、そこがとっかかりとなったように思う。要するに、犯人らしからぬ犯人が、意表をついた動機、意表をついた凶器で犯罪を犯したらどうなるか。
  • 犯罪現場にいて、絶対に犯人に見えないような外見とは何か。品のいい老女で、車椅子に乗っている。実際にそういう方がいらっしゃったら申し訳ない限りなのだが、その場ではそういうイメージで落ち着いた。
  • そんな人が人を殺すとしたら、何を使うか。撲殺、刺殺などは論外だ。非力な者が複数の若い男を殺すとすれば……爆殺!
  • では、そんな人がいったいどんな動機で人を殺すのか。車椅子の老女は、犯人にこそ見えないが、目立つことは目立つ。動機次第では、すぐに犯人と割れてしまう。では、犯人たちと直接の繋がりがなければいいのではないか。一種のサイコパスのように、悪い奴を片っ端から殺している老夫婦にすれば。
  • 転がるようにして出たアイディアが、「犯人らしからぬ犯人が、意表をついた動機、意表をついた凶器で犯罪を犯したら」という当初の目論みを綺麗に満たしてくれた。
  • 殺人の舞台が、「銀座風な街」になったのは、町田氏と福家の打ち合わせによく使う、隠れ家的喫茶店が銀座にあるからだ。巻き添えを減らすため、車の移動を仕組むというアイディアは、まさに現地調達だった。
  • 後藤喜子のキャラクターは、町田氏の言う「福家対福家」というコンセプトでほぼ決まりだった。良い福家と悪い福家の戦いだ。ちなみに、「喜子」というネーミングは、102歳で他界した私の祖母からいただいている。明治生まれで、死の直前まで矍鑠としていた、まさに女傑であった祖母に捧げた形になった。
  • ラストは終盤まで書いてから思いついたものだ。「福家対福家」であれば、それしかないだろうと、ある瞬間に気づいた。「そんなこと初めから気づいてろよ」と言われればそれまでだが、私には、天啓のような閃きだった。
  • 「福家警部補の報告」出版後、「女神の微笑」、特に後藤夫妻がけっこうな人気だと聞いて、驚いた。個人的には、「少女の沈黙」に力をこめたので、「そっちかよ!?」という思いが強かった。今なお、後藤夫妻の再登場を願う声が多い。実のところ、後藤夫妻を再登場させる予定は、まったくなかった。当然、構想もなかった。しかし、こうなってくると、どこかでもう一戦やらないといけないのかなと思う。ただ、後藤夫妻をもう一度だすのなら、それは福家の敵役としてではなく、主人公としてだすべきなのではないかとも、考える。でもまぁ、とりあえずは、もう一戦、倒叙を少し崩した形で、近々、やろうとは思っている。