怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

ランチタイム放送と三匹の猿

Muho2006-04-05

  • 「怪獣戯画」&「シークレット」の検索で来られる方がかなり多いので、ずばり書いておきます。シークレットorレアは、向かって右側の列の一番奥だ。健闘を祈る。
  • 怒濤のダブり「怪獣戯画」はノーマルセットをコルクT氏のショーケースに並べてもらうことにした。
  • 掲示板にひっそり書いてますが、「野ブタ。をプロデュース」最高。特典ディスクをついに開封。「ランチタイム放送」は予想通り、私のハートを直撃。ああ、三度も見てしまった。ここだけで定価分の価値はあるというもの。「……不味い」。プレゼント告知はNGも収録されていて、これまたよろしい。サントラのプレゼント告知は必見。「コン」。
  • 食玩界の永田議員イワクラから荷物が来た。あけてみると、おお、あの「キングコング三点セット」。10センチに満たないフィギュアなのに一個1万円というバカしか買わないような商品。むろん、私は即日送金した。それから半年以上。ようやく完成したかと大喜びで開封すると……! おわび状が出てきた。「一個一個手作りしてるからさぁ、なかなか完成しないんだよね。ま、金も貰ってあるし、とりあえずフィギュアだけ送るわ。約束していたベースは出来次第送るからさ。気長に待ちやがれ」という内容。一瞬、ニセメールかと思ったぞ。世の中にこれほどバカなメーカーがあって良いものか。そのバカに金を払った私はさらなるバカなんだけどさ。もうバカとバカでバカバカ。ベースがついてなけりゃ、こんなのただの猿フィギュアじゃねえか。
  • ガンプラの思い出。ガンプラと出会ったのは、当時まだ京都の一模型屋であった「ボークス」だ。それまでプラモデルといえば、ウォーターラインシリーズの戦艦だった。小遣いを握りしめボークスを訪れたとき、たまたま目にしたのが、ホビージャパン。そこには、水面から飛び出したズゴックを真っ二つにするガンダムのジオラマが掲載されていた。うまく説明できないが、私はそれにノックアウトされてしまった。その時点で「ガンダム」が何かも知らなかった。我が家はほとんどテレビを見せてもらえなかったから。にもかかわらず、そのジオラマは頭にこびりつき、片時も離れない。覚えている限り、それがガンプラとの出会いだ。1981年の2月くらいだろう。その後、そのジオラマの記事を立ち読みするため、ボークスに何度か通った。その過程で「ガンダム」が何か、理解していく。

  • 1981年の3月に新製品である「ジオング」を買ったこと、出町柳の玩具屋で「量産型ザク」を買ったことは今でもよく覚えている。「量産型」という言葉、なぜザクには二つの色があるのかを理解したのもこのころ。

  • 81年5月あたりから、ボークスはガンプラの予約を取り始めた。壁に商品名を書いた紙がはりだされ、希望者はその下に名前を書いていく。入荷した分は、上から赤線で消されていく。何とおおらかなシステム。覚えているのは、7月に発売となった「ギャン」がすごい人気だったこと。紙も一枚では足らず、二枚、三枚と下に継ぎ足されていった。

  • 81年8月、「アッガイ」が発売になる。しかし、出来はあまり良くなく、素組ではどうにもならなかった。そんなとき、ホビージャパン9月号に徹底改修の記事が載る。自分の小遣いでホビージャパンを買ったのは、この9月号が最初。以来、2001年に少し中断したほかは、今も買い続けている。

  • 子供のころのことはほとんど覚えていないのだが、プラモデルに関することだけはよく覚えているんだよなぁ。

  • スコープドッグ。

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