- 「ボイス」第5、6話を観る。これほどのミステリー的快感を覚えたのはひさしぶりだ。よくできてるなぁ。ミステリーの要所は、「驚愕の結末」ではなく「そこにいたる過程」つまり「伏線」にこそあるのだなぁとあらためて思う。「伏線」がしっかりとしていれば、それは自ずと「ミステリー」になってくる。「ボイス」というドラマを「ミステリードラマ」と定義するつもりは毛頭ない。あの傑作ドラマをミステリーでくくるなんてもったいないこと、できませんて。いまのミステリーにそこまでの力はない。ミステリーは技巧の一つとしていろいろなものの中に隠れ、応用されることでしか、もはや生き残ってはいけない。そういう意味で、「ボイス」のようなドラマが作られていることはすごく心強い。
- 第5話の写真。そこにこめられた伏線。手がかりはしっかりと示されていて、そこが明らかになることで死の真相に一歩近づける。第6話は、犯人の存在は問題じゃない。「パジャマ」「アルバイト」という小道具を配置することで、そこから真相に到達できる手がかりをしっかり示していること。勉強させていただきました。