怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

死生観だのなんだの、気楽なこと言ってんじゃねえ。介護はそんな浮ついたもんじゃねえんだよ。

胃ろうの人は全国に約30万人いるともいわれる。低栄養の改善をはじめ、誤嚥(ごえん)性肺炎を避けるためや「在宅でも管理が簡単だから」と退院に向けて勧められるケースもある。問題は本人が意思表示できず、家族が判断を迫られる場合だ。
 しかし、「これでよいのか」との声は根強い。長寿科学振興財団が行った「高齢者の医療のあり方に関する研究」によると、一般病院の主治医で、自分が胃ろうの対象となったときに「受け入れる」とするのは5人に1人。特養の看護師では10人に9人以上が「拒否する」と答えている。
 看護師で全国高齢者ケア協会の鎌田ケイ子理事長は「老衰の過程で食べる量が減り、全身が弱るのは自然なことで、そういう人は胃ろうの対象ではない。介護現場では胃ろうに依存せず、手と時間をかけて“枯れていく大往生”を実現するケアに転換すべき。本人の意思が確認できないとき、胃ろうをつくる選択を家族に迫り、“死なせる引き金”を引かせるのは酷。学会が適用の客観基準を作るべきです」という。
 胃ろうの情報を提供するNPO法人「PEGドクターズネットワーク」理事長で国際医療福祉大学病院の鈴木裕教授も、現状がパーフェクトだとは思っていない。「嚥下(えんげ)機能が低下した人が胃ろうにしてリハビリを受け、生活の質(QOL)を取り戻すケースは多い。QOLを上げる使い方をすることが重要で、正しく使えば、こんなによいものはない。どういう人に使うかをきちんとし、患者さんには十分に説明する必要がある」とする。
 脳卒中の回復期や嚥下機能だけに問題があるなど、胃ろうが力を発揮する場合もある。それだけに適用の明確化が求められる。鈴木教授らは胃ろうの患者の予後などを調査中で、「結果を踏まえ、指針を検討していく」という。

 ≪死生観 確認を≫

 胃ろうに関する意思確認をする特養もある。東京都世田谷区の「芦花ホーム」では、入所時に記入する「意思確認書」に「お口から食べられなくなったとき」の項目を設けた。選択肢は「胃ろう増設などは受けない」「胃ろう手術などを受けて少しでも長く生きることを望む」など。本人と家族に死生観を確認してもらうためで、ほかにも▽自然に最期を迎えるか、できるだけ医療処置を受けるか▽急変時に心臓マッサージや気管内挿管を希望するか−などの質問項目が並ぶ。
 ホームの常勤医師で、『平穏死のすすめ』(講談社)を書いた石飛幸三さんは「胃ろうにするか否かは本人と家族が決めること。うちでは『胃ろうにしろ』とも『するな』とも言わない。ただ、入所者はみんな人生の坂を下っている。最期をどう迎えるか、事前によく考えてもらいたい」という。
 昨年の敬老の日には「口から食べられなくなったらどうしますか」と題し、家族会を開いた。講演したのは医師や相談員のほか、胃ろうを断って親を看取(みと)った家族や、腸ろうの親を持つ子供も。議論は白熱し、参加家族らは終了後も長い間、ホールで話し合っていた。

 ≪栄養量加減も≫

 入所者が胃ろうにした場合、石飛医師は状態を見ながら栄養量を加減する。「人間は最期は起こしても起きられず、食べられずに寝ているだけになる。体が受け付けないのに、栄養量を通常通り入れれば吐く。無理に食べさせ、かえって誤嚥性肺炎の危険にさらすのは拷問に近い」
 栄養量を加減するようになって以来、ホームでは肺炎の発症が減り、救急車を呼ぶ回数も減った。肺炎死の代わりに老衰死が増え、自然な看取りに臨めるようになった、という。

 

  • 自然の看取りだか、平穏死だか知らないが、いざその立場になったとき、介護側に選択権があるのはまだ運のいい方だ。
  • 私の身内は脳の病気から嚥下がうまくいかなくなり、食べ物が口から入りにくくなった。その結果、栄養状態が悪くなり、抵抗力が低下。全身に細菌が回って、40度の高熱をだすようになった。三ヶ月入院し、「死ぬでしょう」とまで言われたが復調。細菌がほぼ消えた時点で、胃瘻の手術を受けた。胃瘻で栄養を入れることで抵抗力が増し、細菌の蔓延を抑えることができるからだ。その後二ヶ月。身内は比較的元気にしている。私の場合、胃瘻の手術をするかしないかについて、選択権なんてなかった。私が胃瘻手術に反対し、実施しなければ、いまごろ、身内は細菌に蝕まれ、高熱で苦しみながら死んだだろう。それじゃあ、殺人になってしまう。
  • 身内は胃瘻のおかげでめきめき元気になり、それでも寝たきりで一人では何もできない。私だけでは見きれないので、施設に預けてはあるが、月々の出費はものすごくかかる。今後もまだまだ、まだまだ介護は続くんだろう。胃瘻様々だ。
  • 七年介護した挙げ句、向こうもこっちもズタボロで、どう看取るかなんて生ぬるいこと言ってる余裕はねえんだよ。死ぬ側は平穏でいいかもしれないが、介護する側はたまったもんじゃない。老衰死が増えたとか、まったくもって、くだらない。