怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

身内の入院 もう泣きたい

  • 身内の施設から連絡があり、身内が軽い脳梗塞を起こし、救急車で運ばれたとのこと。行き先は、いつもの順天堂。久しぶりに出向いたら、ERの入っていた棟がすっかり新しくなっていて、迷いまくること十数分。ようやく集中治療室までたどり着き、医師と面談。左側に麻痺が残る可能性が高いという。まあ、今までも寝たきりであったので、大きくは変わらないけれど、右手はまったく使えず、かろうじて、左手でテレビのリモコンなどを持っていたのが実情。その左も使えなくなると、自分では何もできなくなってしまうなぁ、とぼんやり考える。
  • どちらにしても入院なので、部屋が決まるまで待たされる。何時間も待たされる。部屋が決まり、意識が混濁している身内に会い、帰宅したのは、深夜。仕事も何もかもが吹き飛んだ。
  • 翌日、病室に行くと、身内はかなり回復している。ちょっとびっくり。
  • 3日目、左腕は普通に動き、会話も普段通り。医師は「ボクもびっくりしているんですよ」。
  • てなことがあって、一週間入院し、施設に戻った。
  • 身内は今までに三度、「明日までもたないでしょう」と宣言されながら、ケロリと回復した前歴がある。私はこれを「死ぬ死ぬ詐欺」と呼んでいるのだが、また「詐欺」にあったわけだ。
  • 入院する前と退院したときで比べると、悪くもなっていないし、回復もしていない。つまり、プラスマイナスゼロだ。その間、私は仕事のほとんどを放りだし、見舞いや手続きに忙殺され、挙げ句、入院治療費として数十万円払った。自分の生活を犠牲にし、金まで払って、何を得たのかといえば、プラスマイナスゼロなのだ。寝たきりの身内の介護は明日からも、普通に続いていくのである。
  • 私は自分での介護を放棄し、介護施設に入れた。金で解決しているわけだ。もう十年。毎年、年収の数割を介護費用として持って行かれている。稼いでも稼いでも、それど手元には残らない。
  • 私の介護は39歳で始まった。その時点では、回りの誰も介護なんてしていなかった。「大変だねぇ」と声をかけられるたび、淀んだ心の奥底で、「みんな、これから俺みたいに苦労するんだよ。みんなが苦労しているとき、俺は介護が終わっている。のびのび暮らしてやるのさ」と思っていた。10年たって、後から介護を始めた人が、さっさと看取って、のびのび暮らしている。両親が元気で、まだ介護すら始まらない人も多い。いったい何なんだろうなと思う。とてもとても不公平だ。