怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

介護に関する私見

  • またいくつか介護について質問を受けた。もう同じことの繰り返しになるので、昔の日記を読んでくださいというしかないのだけれど、自分なりに要点のみをまとめる。
  • 介護を乗り切るのは、金と人手。その二つのみ。愛情とか気合い、根性は関係ない。正気を失って暴れている肉親に愛を説いても無意味だ。
  • だから、事前準備としてできるのは、介護に金がいくらかけられるのか、介護に突入したとき、誰と誰が何を負担するのかを明確化しておくことくらいか。
  • 一人で介護をしていれば24時間だが、二人でやれば12時間になる。これだけで倍違うことを常に考えることだろう。
  • 遠方に住んでいて、介護を逃れようとするバカな家族もいる。そういう人からは金を取る。「生活できない」と言われれば、生活の質を下げさせればいい。「子供の学費が」とか言ったら、子供の進学をあきらめてもらうよりない。志望校に行けなかった子供は、被介護者を恨むだろうが、それは仕方ない。誰がが犠牲にならなければならないのだ。それが介護というものだ。
  • 介護に関する番組とかはすべて無駄なので、見ても仕方がない。介護の成功例を紹介しているものは、大抵、介護を終えた人のコメントで成立している。喋っている者は解放感にひたっているし、終わってしまえば、苦しいことも、美しい思い出に変わる。介護が継続中の人には参考にならないし、むかつくだけだ。介護の失敗例を紹介している番組は、陰々滅々とした現実を伝えるだけで、解決策を示さないので、これまた見るだけ無駄だ。自分と同じ境遇の人がいるのかと少しホッとするかもしれないが、何も、下を見て生きることはない。介護もせず、バリバリ仕事などに打ち込んでいる人間を恨めしく思っている方が、生きる活力は湧いてくるはずだ。
  • 介護は、誰が誰を見るかによって性質が大きく変わる。娘が母親を見ている事例は、息子が母親を見ている事例には当てはまらない。子供が親を見ている事例と、配偶者の事例はまったく状況が変わってくる。自分が将来、誰を見なければならないかを、今の内から考えておくことだ。最悪なのは、息子が母親を見るパターンだと思う。異性の介護は難しいというか、結局のところ、不可能だと思う。不可能なことを無理矢理やっているから、辛いのだ。
  • 「介護にはいつか、終わりが来る」という慰めをよく言われると思うが、それは妄言だ。私は36歳のときから一人で介護を始め、7年やって、一千万以上の金がかかったが、終わる気配はまったくない。
  • というような感じです。あくまでも私見です。(以上)