怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

日本の恥

  • こうした場で個人をアホ呼ばわりするのは、良くないと判っている。こうした行為が回り回って自分に不利益をもたらすことも判っている。それでも、我慢できないときもある。心底愛するものを愚弄されれば。
  • こんなゴキブリのような評論家がいるから、日本映画は滅亡するのだよ。

朝日新聞朝刊12月9日より

荒唐無稽さ、力技で昇華 「ゴジラ FINAL WARS」
                     評者・江戸木 純 映画評論家

 1954年(昭和29年)の本多猪四郎監督作「ゴジラ」から50年。その集大成を目指し、シリーズ最高となる20億円の製作費をかけた第28作である。
 監督は「あずみ」の北村龍平。ハードなアクション作品で評判をとったものの、まだ新人同然の彼の起用に関しては製作が発表されて以来、賛否両論が渦巻いた。白状すると、実は筆者も懐疑派だった。
 結論から言えば、北村龍平はとてつもない仕事を成し遂げた。起用は大正解どころか、2作目以降、シリーズ中最も面白いゴジラ映画の誕生といっても過言ではないだろう。これまでこのシリーズは外部の新しい才能の起用に消極的だったが、実はもっと早くにやるべきだったのだ。
 同シリーズは、反核メッセージ濃厚な社会派パニック映画だった1作目で誕生した"ゴジラ"という恐怖の対象を、子供たちのアイドルとして再生・復活させ、人気を維持してきた。その一番の見せ場は何といっても、日本が世界に誇る「着ぐるみ特撮」を駆使した怪獣たちによる「破壊のカタルシス」だった。しかし、今や戦争や災害の悲惨な映像がテレビに氾濫し、環境破壊に対する認識も高まっている時代、破壊は観客の快感にはなりにくくなってきている。だからこそ、怪獣映画をK-1やPRIDEの延長線上にある究極の格闘技映画と捉えた今回の方法論は極めて正しい。
 また、子供向け怪獣映画と位置づけられたシリーズには、いくつかの決定的な問題点が存在してきた。その一つは、派手な特撮シーンや荒唐無稽な設定と平坦なドラマ部分のギャップ。もう一つは"怪獣映画"を意識し過ぎて、必要以上に怪獣の姿や動きを長く見せる世界標準とはかけ離れた特撮シーンのテンポのなさ。
 北村演出は荒唐無稽な物語をさらに荒唐無稽かつ強引に描き、ある意味"笑いどころ"にまで昇華させると共に、人間の登場人物にも怪獣並みのアクションをさせることで、怪獣シーンとドラマの間にあった違和感の解消に成功した。
 これまでの北村作品では、ハードすぎるアクションの見栄えが逆にドラマ演出の未熟さを際立たせてしまうことが少なくなかったが、ゴジラこそすべてをフルボリュームで描ききる彼のスタイルにもってこいの題材だったのである。
 オープニングから、日本が生んだ最大のスター、ゴジラをアップでしっかりと見せ、同時に従来のシリーズとはまったく違うテンポと細かいカットによるケレン味と迫力のあるアクションが連続。さらに、かつて同シリーズや東宝特撮映画に登場した怪獣や軍鑑などを総動員する一方、ゴジラにハリウッド版ゴジラ(らしきもの)を一撃でKOさせたり、最大の宿敵キングギドラをじらしにじらして登場させるなど、掟破りの演出を連発しながら、怪獣映画ファンに対してのマニアックな配慮も忘れていない、まさにシリーズの集大成が完成した。
 ここには怪獣映画に求められるものがすべて詰まっている。2時間強、まったく飽きさせない力量と旺盛なサービス精神には脱帽である。
 最終作というふれこみだが、これだけの出来ならば国内はもとより海外でも大きな収益を上げることは間違いない。もちろん、ゴジラも帰って来ないわけにはいかないだろう。