怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

桂文我師と桂小金治師

Muho2007-10-09

  • とある方のご好意でチケットを譲っていただき、国立劇場演芸場まで、「桂文我 極彩色高座賑 其の五」を聴きに行った。今月のゲストは桂小金治師匠。これだけでも行く価値あり。桂まん我さんの「つる」に始まり、文我師の「井戸の茶碗」。とこまでも正直な(バカ正直ともいう)三人が三者三様に絡み合う、痛快で爽やかな噺。一歩間違うと嫌味な高座になりかねないが、そこは文我師の空気というか、まっすぐな演じ方がピタリとはまり、演者とネタの絶妙な組み合わせが成立。清々しすぎるくらいの爽やかな高座となった。
  • 小金治師匠は「蛇眼草」。落語は最近やってないとのことでしたが、とんでもない、SF怪奇じみたネタでしたが、とても温かくひょうきんな高座でありました。とても80歳を越えているとは思えない。もうここまでくると、化け物ですなぁ。←誉め言葉
  • つづいて文我師と小金治師による芸談。司会、映画、落語、それぞれの王道を歩んで来られた小金治師の話は泣けるし、含蓄はあるし、オチはついているし、聴いている方は泣いたり、笑ったり、納得したりで大変だった。米朝師もそうだけれど、もうそこにいて座っていてくれるだけでハッピーという風格が、小金治師からはにじみ出ていた……どころか発散されていた。
  • おしまいは、文我師の「浮かれの屑より」。東京でいう「紙屑屋」で、これは若いころの小朝師のものが最高だった。テープがどこかにあるはずなのだが、見つからない。無念。上方版を聴くのは初めて。何から何まで大きく違う。上方と江戸の違いを判らせるには、この噺の聴き比べがベストだと思った。上方特有の音曲噺。この時代、ここまで豪勢に鳴り物入りで聴けるというのは幸せ。独演会などのプログラムに「鳴り物入りでつとめます」との表記があったら、それだけで行くべきだと思う。今まで、文我師というと、どうしても「知」の部分が先に立って、いまひとつ、本気でのめりこめなかった。学者が高座に座っているような印象を受けてしまうからだ。でも、今夜の二席は素晴らしかった。たしかに、間合いといい語り口といい、まだ学者のような印象なのだけれど、精進と努力がそれに勝っている迫力をひしひしと感じた。それほどに見事だった。今年一番楽しめた高座だったように思う。
  • 楽しかったなぁ。こうなってくると、12月の会にも行きたくなるなぁ。その前に、今月末は末広亭で馬桜師がトリ。まずはそれに行かなくては。