怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

鈴々舎馬桜独演会と色町の恋は80日

Muho2006-05-04

  • 連休恒例「鈴々舎馬桜独演会」に行く。本日昼の部は、昨年50で亡くなった桂吉朝師匠追善の会。四年ほど前まで、連休といえば、「吉朝独演会」だった。欠かさず聴きに行ったのになぁ……。
  • 一席目は「はてなの茶碗」。京都が舞台の上方噺である。米朝師匠の印象が特に強い噺だが、ゆったりとした間合いが持ち味である馬桜師のアレンジが加わわっていて、ぐっと引き込まれた。茶道や茶器など背景を理解されている師匠の「落ち着き」がこちらに伝わった気がする。「上方の噺を東京の人がやるには無理がある」という人もいるかもしれないが、少なくとも、吉朝師匠亡きあと上方にこの噺をきっちりできる人がいるとは思えず、ならば、東京の人に頼むよりないではないか。
  • 二席目はゲスト、上方の桂三風師匠。テレホンショッピングの新作を聴かせてくれた。すとんと座ぶとんに座ったとたんに、関西の異空間が広がる。私としてはなつかしい雰囲気だったのだが、他の人にとってはどうだったのだろう。客席参加型落語。笑わせてもらいました。私の斜前によれよれの爺さんがいて、席についてからずっと寝ている。前座さんの高座は100%爆睡。そんな爺さんが、三風師の高座中はコクリともしなかった。さすがだなぁ。やっぱり上方は面白いなぁ。
  • トリは「立ち切り線香」。これも米朝師の印象が強い、というより、米朝師の印象しかない。この噺は馬桜師によって、舞台をこちらに移しての登場となった。芸者の名前一つにこだわる作りが、馬桜師らしい。滑稽噺に始まって人情噺となり、最後には怪談噺になるという、落語の奥深さを教えてくれる貴重な噺でもある。いつも書いていることだが、蔵から出た若だんなを送りだす、番頭はどこまで真実を知っていたのだろう。「お賽銭」といってそれとなく金を渡すくらいだから、若だんなの行動は読んでいたとも思えるし、なら、わざわざ小僧をつけなくても。まくことを考えに入れての行動だろうか。米朝師匠の高座を聴いたときは、「ああ、番頭、知ってるな」という印象だった。今回の馬桜師バージョンは、番頭の「知っている感」が増しているように思った。「色町の恋」がどれだけ続くか、そこを確かめてみようとした計画性も感じた。80日で手紙が途絶え、「色町の恋」が終わったと番頭は信じているので、若だんなが改心していなくても問題はなく、さっさと送りだして、「色町の現実を知れば良い。そうすれば目が覚める」と考えていたともとれる。一度、師匠に直接聴いてみたいものだ。
  • 完全にノルマ化してしまい、毎日、げっそりしながらも楽しく続けている「どうぶつの森」。ついに、自宅の増築が終わり、部屋が4部屋に! 忌々しいタヌキは「もうこれ以上、部屋は広くならないなも」とおっしゃる。しかし、借金は98万くらいあるわけで、これを返さなかったらどうなるのだろう?
    借金返済がなくなり、目標を見失った「どうぶつの森」。明日から何をすれば良いのだろう。

  • 村の住人は時々、風邪をひく。そんなとき、薬を買って届けてあげると、治ったりする。一番最初、この現象を見たとき、「薬わ上げずに放っておいたら、家の中で死ぬのではないか」と胸をときめかせた。
    「そういえば、あのクマ、最近見ないね」
    とかいう会話が出現し、ひさしぶりに自宅を訪ねたら、床に倒れているクマが……! 発見が遅れるとハエが! とか、いろいろ想像して胸をときめかせた。でも、そんなことはまったくなく、放っておいても治るらしい。