怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

復活 野呂盆六とスワンの涙

  • 土曜ワイド劇場枠にて、奇跡の復活をとげた「刑事野呂盆六 スワンの涙」を見た。野呂盆六というのは、1993年、1994年、TBS系月曜ドラマスペシャル枠で二作が放送された、長坂秀佳原作・脚本によるドラマである。主演は橋爪功。ネーミングからも判るとおり、これは長坂版「刑事コロンボ」で、犯人が企んだ完全犯罪に、野呂盆六という風采の上がらない奇妙な刑事が挑むというもの。93年の第一作「完全犯罪の女」では小川知子が、94年の二作目「殺意のマリア」では島田陽子がそれぞれ犯人を演じた。シリーズは残念ながら二作をもって打ち止め。しかし長坂氏自身はこのキャラクターに相当な思い入れを抱いていたようで、江戸川乱歩賞受賞作「浅草エノケン一座の嵐」にも同名の刑事が登場、野呂盆六刑事は彼の孫という設定なのだそうだ。
  • 今回、約14年ぶりに野呂盆六が復活。晴れて放送の日を迎えた。この感激、この喜び。
  • 土曜ワイド枠に移ったせいか、タイトルは「天才刑事 野呂盆六」となっており、実にチープな有様となってしまった。誰が何と言おうと、私は「刑事 野呂盆六」しか認めん……と思いつつも、朝日新聞の番組欄には、デカデカと番組の宣伝が載り、「日本のコロンボ。天才刑事 野呂盆六」の文字が。ふーむ、こうして見ると「天才刑事」も悪くはない。「美人編集者の完全犯罪を暴け。」もふーむ、悪くない。
  • 犯人は白鳥和沙、「スワン」と呼ばれる編集者。20年間に渡りミステリー作家楢尾鴻介の担当を務め、公私ともに秘書のような役割を担っていた。そんな白鳥は突然、楢尾の担当をはずれるよう命令を受ける。後任は若い女性編集者小鈴。プライドを傷つけられた白鳥は、関係者全員を失脚させるべく楢尾殺害を計画する。
  • 結論をひと言で言えば、非常に楽しかった。ターゲットの殺害がメインではなく、その犯罪を後任編集者小鈴にかぶせる、その一点にあらゆる計画が集約されている辺はみっちりとしていてわくわくした。
  • 探偵を雇い、小鈴と編集長の不倫写真を撮らせる。このネガを使うことで、楢尾殺害の動機、同時にアリバイまでを奪う。
  • 引き継ぎと称して楢尾宅内を案内。隠し金庫、自家用車までさわらせる。このことで、小鈴の指紋がつく。さらに隙を見て、バッグ内のブラシから髪の毛を二本盗む。
  • 小鈴の企画と称して、楢尾に「遺書」をテーマにしたグラビア撮影をもちかける。「小鈴の企画」ということで、楢尾はスケジュール表に「小鈴への原稿」という趣旨の言葉を記入する。さらに自筆の遺書を入手することにも成功。
  • ネットの裏ルートで拳銃を入手。その際、現場で売人を射殺。使用したのは楢尾の自家用車。楢尾の手袋、マフラー、帽子で変装。付近の壁にわざと接触、塗料片を残し、車には傷をつける。わざと防犯カメラに映り、運転手の姿をさらす。その後、帽子には前もって盗んだ小鈴の髪の毛を残す。
  • 犯行当夜は不倫現場の写真を使い、小鈴を人気のないところにおびき出す。その間に、楢尾の書斎に行き、自殺と見せかけて射殺。遺書を残し、金庫を何者かが荒らしたように見せかけ、さらに髪の毛をもう一本、残していく。探偵社の領収書も書斎の机に残し、楢尾が探偵を雇ったように図る。これで殺害動機ができる。
  • 住みこみのお手伝いは西部劇好き。前もって西部劇のビデオテープを渡しておき、犯行時刻に観賞させておく。拳銃音の消去と「銃声がした」という暗示の伏線。さらにトリックを使って、裏口の二つの扉の開閉を操作。何者かが裏口から逃走したように思いこませる。
  • 遺書の置き方など自殺偽装には瑕疵が多く、殺人であることはすぐに見破られる。殺人と断定されたとき、すべての証拠は小鈴を指していた。
  • 銃の密売人捜査で東京から来ていた野呂盆六は、京都府警と協力し、楢尾殺害事件の捜査に当たる。野呂は、銃声がしたとき、白鳥が楢尾の書斎に向かわず、逃走した犯人を追いかけたことに疑問を持つ。敏腕編集者がそんなことをするものだろうか……? 証拠はすべて小鈴を指している。だが野呂は白鳥を執拗にマーク、二人の対決が始まった……。
  • 基本的には充分、及第点。この調子でシリーズ化を望みたいところ。
  • ただ「コロンボ」「古畑」をはじめとする他の倒叙ドラマと比較した場合、評価は大甘で中の中くらいか。もっとも気になるのは二点。一つ目は、完全犯罪が「完成」しないうちから捜査が始まってしまうところ。計画は小鈴の自殺によって完成する。ところがそこに行く前に野呂たちの捜査が進んでしまうため、第三の犯行がほとんど意味なしになってしまっている。刑事の尾行をまいて犯行に走るというのも乱暴な話で、自分が犯人と白状したようなもの。「証拠はあるの?」とその直後にすごんではみせるけれど、見ているこちらとしては、勝負を半ば放棄したように思えてしまう。二つ目は純粋な愛憎復讐劇となっているため、犯罪成功後のビジョンが犯人側に見えないこと。旧コロンボシリーズで犯人を魅力的にしているのは、その野心。完全犯罪成立後の目標を明確に持っている。その前に立ちはだかるのがコロンボであり、だからこそそれが頓挫したときの切なさが、こちらの胸を打ったりする。今回の犯人白鳥は、いったいどうしたかったのかがよく判らない。楢尾が死に、編集長が失脚し、小鈴が逮捕されることで、白鳥自身が得る何かが設定してあればベターであった……とは思うのだけれど、今回は、それが不可能なオチがついている。難しいところである。
  • 細かいところはいろいろあるが、とりあえず、野呂盆六の復活を手放しで喜ぶことにする。実際、四作目が傑作になる可能性は限りなく低いのだけれど、それでも存在していることが大事なものもある。ぜひシリーズ化を望みたい。