怪獣万歳!

muho2’s diary

小説を書いて暮らしている大倉崇裕です。怪獣が3度の飯より好きです。政治的な発言は控えていましたが、保険証廃止の動きで頭が沸騰し、しばらく叫き続けていきます。自分自身大病もしたし、12年間親の介護もしました。その経験からも、保険証は廃止しちゃダメ。絶対!

「名人 志ん生、そして志ん朝」

先月購入したCD、古今亭志ん朝の「お見立て」があまりに素晴らしかったので、10回くらい聴いてしまい、その勢いで「名人 志ん生、そして志ん朝」(小林信彦著・文春文庫)を読む。2001年10月、63歳で亡くなった古今亭志ん朝師を悼む、叫びからできあがったような一冊である。志ん生から志ん朝へと繋がる昭和の落語界を駆け足で振り返り、志ん朝の晩年(?)名古屋で年一度開かれた「三夜独演会」を演目とともに詳述する。
はっとしたのは、昭和24年に出た安藤鶴夫著「落語観賞」の〈あとがき〉が引用されていること。
安藤は当時の「落語界の危機」を……

1 おかしければそれでいい、という〈面目主義〉の観客たち
2 批評の皆無
3 一人漫才然とした大道芸の落語家がラジオや名人会と称するものの大看板になっていること
4 本筋の落語の芸が、二、三の優れた人たちの死によって、たちまち消え去るであろうこと

現代もまったく同じ状況にあるのだよと悲しむべきか、こんな状況のままでも何とか落語は滅びずに残っているよと安堵すべきか。
小林氏は志ん朝の死によって、「本物の東京言葉が消えてしまい、もう東京落語は終わった」とまで書いているが、現代にそこまで要求するのは、酷な気がする。ある程度、現代に迎合することは必要だし、落語は大衆の芸なのだから、そうでもしないと生き残れない。
ただ、志ん朝が亡くなって、「その後に誰がいる?」ときかれれば、「誰もいない」と答えるより仕方ない。